先日、長崎へ日帰り旅行へ行ってきました。目指したのは『軍艦島』ー。2009年に世界遺産暫定リストに掲載され、1974年の炭坑閉山後、35年の時を経て昨年から上陸できるようになりました。
長崎港から南西に約19kmの沖合にある軍艦島(端島:はしま)。塀が島全体を囲い、鉄筋高層アパートが立ち並ぶ、その姿が軍艦「土佐」に似ていることから『軍艦島』と呼ばれるようになりました。
『軍艦島』は、炭鉱の島。1810年ごろに石炭が発見され、1890年に三菱の経営となってからは、海底炭鉱として本格的に操業が開始されました。全国からたくさんの炭坑夫たちが島へと移り住み、出炭量が増加するにつれ、人口も増加。周囲1.2kmほどの狭い島で多くの人が生活するために1916年には日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建設されました。最盛期には約5,300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍ほどの人口密度だったそうです。
そして、戦後、高度経済成長期を迎え、エネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油にうつり、出炭量が減少。1974年1月に炭坑閉山。その後、無人島となりました。
30号棟。日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートでした。
第二竪坑へ続く桟橋への昇降階段。ここからたくさんの石炭が製鉄所へ運ばれました。
昭和30年代の最盛期、5300人もの人が暮らしていた高層アパートも炭坑の現場も…。風化により壊れています。
天川の護岸。明治期、島の拡張に伴う護岸つくりは「天川」と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法によって造られました。なんと天草の石工さんが造ったそうです。ほかにも天草の石工さんたちは、グラバー邸、オランダ坂…。長崎のさまざまな場所で活躍しています。長崎と天草のつながりの深さを感じます。
「今の何不自由のない暮らしを支えているもの」「犠牲になったもの、得たもの」「日本の歴史」「栄枯盛衰」「祖父母のこと、両親のこと」……。『軍艦島』を訪れてさまざまなことを考えました。自然と脳裏に浮かんできました。
五足のくつから1時間ちょっとの長崎『軍艦島』への旅は、わたしに大きなインスパイアを与えてくれました。
ぜひ足をお運びください。『軍艦島』の建物は風化が進み、いつ壊れてしまうかもわからないものばかりだそうです。「この姿は今日しか見ることができません」とガイドの方が話されていました。
長崎へは富岡港発のフェリーに乗れば、1時間ちょっとで到着! 朝出て夕方の便で戻れば、天草から日帰りで十分楽しめます。長崎泊&五足のくつ泊で2泊3日もいいですが、五足のくつに連泊して中日は長崎へ…というコースもおすすめです。
五足のくつを起点に長崎&天草の旅、いかがですか。
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